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東日本大震災-岩手・宮城の被災地を巡って [仕事]

やっと書く気になったこと


東日本大震災の被災地に向けて、自分ができることとして、
いろいろ模索した末にたどり着いたこと。

「マットレスを作り、届ける。」


避難所などでも、初期の褥瘡は増えてきているという情報を
得たのが3月末。
そんな弱った人が、病院に担ぎ込まれて寝かされるのが、
粗悪な硬いマットレスじゃ、いたたまれない。

とはいえ、先立つものにも限界がある。
普段から一緒に仕事をしていただいている人にも、多大な
協力をいただき、先週18日に実施できた。



配付先を調整してくださったのは、褥瘡学会。
指定先されたのは、岩手と宮城の12ヶ所。
10t車満載のマットレスは、207枚。
私のワゴン車と2台のチームで、機動力も活かして配り歩く
作戦。


盛岡まで北上し、市内二か所に荷卸し後、宮古へ。
その後、気仙沼、石巻経由で、仙台市内へと南下して配付
する計画。

宮古に行った後、一度盛岡まで戻り、東北道を南下して
一関から気仙沼へ行くつもりだったが、学会で岩手地区の
取りまとめをしてくださっている方から、

「今回こちらにいらっしゃるのであれば、現場を見たくは
ありませんか。
テレビで繰り返し放送されていますが、はっきり言って
実際にその場にくると、テレビの画面は実際の現場の
1割も伝えていないと感じます。
私も震災後2~3回、沿岸には行きましたが、その都度、
これが現実に起こった事なのか、愕然となります。
宮古はまだしも(といってもかなりの災害ですが)、山田町、
大槌、鵜住居、陸前高田は町そのものが壊滅しており、
これは次の世代に伝えるために一度見た方が良いのでは
と感じます。」


というメールをいただいた。


宮古から釜石経由で南下するルートは、平時には走ったこと
がある。
道は、所々バイパスもあり、悪くなかったが、いかんせん
時間はかかることは分かっていた。

海沿いのルートを取りたいという気持ちは、当然あった。
道も、大丈夫そうということは確認。
でも、トラックは盛岡から一関経由で気仙沼へ。いくら10tの
大型トラックとはいえ、盛岡から一気に南下する。
それに対して、宮古で荷卸ししながら海沿いに気仙沼まで
行くのでは、時間差ができてしまうので、やめようと思って
いた。

でも、最後に背中を押していただいたので、海沿いを行くことに。



盛岡から宮古へ行く間は、きわめて普通。
対向で、やたら自衛隊の車がいる、というだけ。

宮古では、あっ、船が道端に転がっている、という、テレビで
見た風景だという程度の感じだった。
でも、震災一か月以上経過しても、未だに街中でも停電し、
警察官が手信号をしているということに、へえー、と思いつつ。。。


しかし、そこから南下を始め、山間を走って次に海に出るのは、
山田町。
いきなり、町が消えて無い風景を遠目に見て、やや愕然。
しかし、バイパスは山あいを行くので、ちょっと横目で見た程度
だった。



そして、次の海沿いに出ると。。。


全てが無い風景。

船越、吉里吉里と、何これ という風景が、車の真横に広がる。


次の大きな町は、釜石。
大きな建屋を津波が突き抜け、大きな船が打ち上げられ、
スーパー堤防が崩されているのを遠目に。。。

3階建てよりも高そうな防潮堤の際の道を走っている。(左手)
DSCN0333.JPG

しかし、その防潮堤の反対側は、瓦礫の広がる風景。
DSCN0338.JPG
(瓦礫という言葉にも、抵抗を覚える。大半が、大切な生活の
かけらなのだから。。。)


釜石を過ぎると、山を上がって下ると廃墟、そしてまた上がって、
という繰り返し。

時間が無いので、昼飯はおろか、トイレにも止まらず、先行車
が抜けるようであれば抜きながら走る。
写真も、走りながら撮影。(映り込みがあり、すみません)

そして、陸前高田は激甚だった。



(写真は、行程通りではなく、前後しています)

とにかく、手が付けられていない。
いや、手の付けようがない広さ。テレビは平面だが、実際には
奥行きがある。
DSCN0350.JPG


山間から降りる途中には、必ず「津波浸水想定区域」の始まり
があり、上がり始めるとその終わりの看板がある。
DSCN0360.JPG

残念なことに、それよりも高い位置まで、津波は到達してる。

そして、海ってどこ?という内陸部まで、津波が川を遡って
破壊している。


DSCN0340.JPG
こうやって見ると、無事に見えるが、津波が中を突き抜けて
いる。

国道を突き抜けて、舗装を持って行ったところも。
DSCN0365.JPG

何度かトイレに駆け込んだ道の駅も、もちろん津波の餌食に。
DSCN0371.JPG

そして、車は一か月経っても宙ぶらりんのまま。。。
DSCN0372.JPG

国道には、瓦礫がはみ出して、
DSCN0362.JPG

普通に見える国道沿いの家からも、ゴミが出されている。
海なんて見えないところ。。。
DSCN0368.JPG

地盤も下がり、海が目線の高さ、国道と変わらない高さ。
DSCN0353.JPG
これでは、どうにもできない。



そして、破壊し尽くされた面積が、あまりに大きい。。。
DSCN0370.JPG
DSCN0345.JPG
DSCN0356.JPG
DSCN0358.JPG

ここを走り抜けて、思ったこと。

 頑張ろうなんて、とても言えない。
 復興なんて、やめよう。

 頑張って直すんじゃなくて、違うところに行こうよ。。。



みんなで応援します。
一緒に頑張りましょう。
日本の力を信じてる。
応援し続けます


いろんな言葉がメディアに流れているけど、違う。
そんな、言葉にできるようなことではない。
そして、再び人間が、ここに町を作っていいとは、とても
思えない。



先日、やはり被災地に医療スタッフとしていった何人かの
人と話をしたが、やはり同じ感想。

あれは、無理。

同じ意見だったので、やっと書く気になれた。



「これより下に家建てるべからず」という先人の教えで、
今回の津波被害を免れた地区があったと聞くが、
その通り。
今回の被災地域は、危険な地域。

どんなに高い防潮堤を作ろうと、どんなに建築物を
強固にしようと、無理なものは無理。


まだまだ、瓦礫の下には遺体があることでしょう。
あの広さでは、とても手がまわらない。

でも、全ての遺体が収容できたなら、いくつかの
地区を、このまま残してほしい。
原爆ドームを残したように、あの破壊されつくした
所を残すことで、自然と共存するための教訓を、
後世に残すために。

そのようにさえ思える、ありえない風景。。。



一つだけ、いい風景も。

気仙沼から仙台へ向かう際、夕方、撤収する自衛隊
の車列の中に入った。
すると、道沿いのあちらこちらに、子供が。
親や祖父母に連れられて、手を振っている。
また、段ボールにメッセージを書いて、一生懸命に
掲げている。

「ありがとう」
「おつかれさま」

自衛隊の人も、たぶん手を振ってあげているのでしょう。
余計に嬉しくなって、飛び跳ねている子供も。


自衛隊の皆さん、本当に格好良かったですね。
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